日曜日, 12月 31, 2006

大晦日パーティ

昨日はホッケーのトーナメントがあって、ロビンは昼がら夕方まで4試合をこなしました。サマーはアリアナと点数を表示するお手伝い。私もしばらく見に行きました。晩はマイアミのご近所の中年夫婦6組のパーティがありました。サマー、アリアナの友達の家だったので、女の子たちも来て、ノンアルコールのワインで乾杯していました。おつまみはシーフード。スモークサーモンや海老のカクテル、ご主人の一人が海老のオイスター炒めを作ってくれ、大満足。うなぎの燻製はいまひとつでした。 郊外の家だったので、昼間から大雪で、行くのをためらっていたのですが、大型の戦車のような車で迎えに来てくれました。

今朝起きたら雪が30センチくらい積もっていました。からっと気持ちよく晴れています。気温もマイナス5度と暖かいです。9時ごろに起きた時、前の道と歩道はもう除雪車が通ってきれいになっていました。玄関の前から歩道まではフリーが雪かきしました。フリーたちも友達が1日遊びに来る約束だったけど、除雪車がまだ通っていなくて(職員は休暇中)来れないと電話がありました。明日の元旦はロビンの両親の家に行けるかどうかわかりません。

木曜日, 12月 28, 2006

クリスマスとボクシングデイ

クリスマスと26日のボクシングデイの休日が終わって、昨日から仕事です。でも休暇を取っている人が多いのでスタッフはいつもの7割ぐらい。イギリス人のお医者は昨日からイギリスに里帰り。ウィニペグからヒースローまで直行便があるそうです。カフェテリアにはクッキーやチョコレートなど置いてあって、 まだクリスマス気分が残っています。薬局は4日間の休みの処方箋の用意や病院のストックで忙しいです。外来患者も多かったようで、町の薬局が閉まっているので外来用の抗生物質などがかなり減っていて補充しました。

クリスマスはシェリーの家にテーブルと椅子を運んで、七面鳥、ハム料理。翌日はボクシングデーと言って大売出しの日で、サマーを始め、最近はギフトカードのプレゼントが多いのでウィニペグに買い物に連れて行きました。駐車場を探すのが大変とか、レジまでの長い行列をニュースで見て、今まで行ったことなかったので、初めての経験でした。結論はもう2度と行きたくない。若い人が多かったです。サマーとアリアナはジーンズやTシャツを買って喜んでいたので、まあええかという感じです。子供の金銭感覚やお金の使い方に興味を持ちました。

土曜日, 12月 23, 2006

クリスマス休暇

学校は今日から2週間の冬休みに入りました。我が家の中学生たちは夜更かし、朝寝坊の生活に入ります。サマーは遅くても12時までには寝ているけど、お兄ちゃんたちは遅くまでコンピューターに向かっています。でもゲームのできるのは金曜日だけ、他の日は簡単なゲームのプログラム、3Dのデザイン、YouTubeを見たりしています。サマーは最近シム2を始めました。

病院も26日の火曜日までお休みです。もちろん看護婦さんや当直医は出勤しますが、事務、検査、薬局などは4日間休みになります。昨日は休み前のストックを十分にするなどしましたが、それほど忙しくなかったです。食堂はクッキーやチョコレート、スナック菓子で溢れています。ダイエット中の人も今週は一時休止です。私は朝ちょっと早起きしてカリフォルニア巻きを4本巻いて、持って行きました。それから、簡単なプレゼントやカードをもらったりあげたり。最近は商品券のプレゼントも流行っています。ショッピングモール全体で使える商品券、洋服のブランドの商品券など。スターバックスの商品券は学校の先生へのプレゼントに喜ばれると聞きました。日本でも、図書券やデパートの商品券など昔からありますね。私は薬剤師さんからもらったショッピングモールの商品券で何を買おうか思案中です。

クリスマス明けの初出勤の水曜日はかなり忙しくなる覚悟です。

水曜日, 12月 20, 2006

洗濯考

家はおじいちゃん、おばあちゃんのいる7人家族だったので、洗濯物が毎日、山のようにあった。母は二層式の洗濯機で白物、黒物と次々と回して、すすぎ、脱水を繰り返し、2階の洗濯場に干しに行った。古い家の物干しは広かった。木枠で四角く組んであり、水色のペンキを塗ってあった。蒸し暑い夏の夜、父が夕涼みに寝転んでいたり、お兄ちゃんがカメラのシャッターを開けて星の動く線の写る夜の空を撮ったり、中秋の名月には、すすきやおはぎをお供えしていた。

私は今、自動洗濯機と乾燥機で、週に2.3回まとめて洗濯している。地下に置いてあるので、たまに夜に洗濯することもある。ここでは冬の間は雪が積もっていて外に干せないけど、夏でも外に干す家はめったにない。共働きの家庭が多く、それに貧乏くさいというイメージがあるそうだ。それでも私は夏の間はシーツやタオルを外に干して、太陽のにおいのする洗濯物をたたんでいると、小さな幸せを感じる。母は今、父と二人暮し。洗濯物が少なくて寂しいと言っている。

火曜日, 12月 19, 2006

地球温暖化

カナダでも地球温暖化の危機についてのニュースは毎日のように聞きます。去年の冬は記録的な暖冬だったそうです。今年は12月のはじめの2週間ほどは寒くてマイナス10から20度にもなったけど、今はマイナス5度ぐらいで、しばらくこのお天気が続くそうです。カナダにいると温暖化ありがとうという気分になってしまうけど、地球にとってはかなりやばい状態ということになっているそうです。私は地球の浄化作用とか自然治癒力を信じたいけど、環境保護の科学者や運動家たちの意見ではそんな甘い状態ではないとか。北極の氷が解けて北極熊が狩りができなくなると、絶滅の危機に瀕することになります。

詳しくはWWFジャパンのサイト

数年前からここから10分くらい丘の上に風力発電のタービンができました。どんどん増えて100機ほどがゆっくりと羽を回しています。広々とした小麦畑の向こうに大きな羽が並んでいるのは、未来映画を連想します。風力発電は温暖化の原因である二酸化炭素を発生させない、環境にやさしいエネルギーです。

月曜日, 12月 18, 2006

冬休みまで後1週間!

今週いっぱいで学校が終わり、2週間の冬休みが始まります。中学校ですが、クリスマス前のいろんな行事があります。学校のダンスパーティは前の金曜日にあって、サマーはボランティアで会場の飾りつけをしました。子供たちは11時過ぎに帰ってきました。 サマーはカラオケでラップを歌ったそうです。金曜日は、中学生は近くの丘にスノーボード、尻すべりに行きます。お昼にピザを食べて、午後からは映画の予定だそうです。水曜日は生徒会主催のクリスマスディナー、クラスのクリスマスパーティが一日。いつ勉強するのでしょうか。親としてはちょっと不安な気もしますが、日本のいじめや都会のドラッグなどの問題がなく、心穏やかに過ごせるのは確かです。

昨日の朝まだ子供たちが朝寝坊している時間に、ロビンの両親の所にコンピューターデスクを配達しました。愛犬シンバに会うのが楽しみなので、片道40分もあまり苦ではありません。シンバは散歩に行くのが何よりも好きです。広い敷地に放し飼いだけど、ロビンの両親が散歩に行くとき以外は家の周りからは離れないので、丘の上に散歩に行くととても喜びます。ハスキーが混じっているので、寒いのが好きなようで、マイナス10度でも犬小屋の外で眠っていることがあります。早くシンバを引き取りたいです。

日曜日, 12月 17, 2006

お家パーティ

昨日の土曜日は、ウィニペグの日本語クラスのパーティ のお誘いがあったのですが、風が強かったのと、ちょっと用事もあって断念。クラスを教えているお友達によると、持ち寄りの料理が年々豪華になっているという話。カナダ人学生の漫才も聞いてみたかったけど、おとなしくカーメンまでロビンの両親の買ったコンピューターデスクを取りに行って、ひとり暮らしをしているロビンのおじいさんの家に寄って帰ってきました。夜はサンディとクリスティーンが来て、ロビンがメキシコ料理のタコスを作ってくれました。私はピザとパンプキンパイを焼きました。ワインを飲みながら11時頃までおしゃべり。話題はロビンとサンディが子供の頃もらったクリスマスプレゼントの話、小さい時はクリスマスは期待も大きいだけがっかりすることも多かったとか。ロビンは幼稚園の時、サンディのプレゼントが欲しくて大泣きしたとか、たわいのない話。それから、最近おもしろいテレビのコメディ、NBCの「オフィス」the office、私も大ファンです。また日本でも放送されるかもしれません。30分ものですが、個性のあるキャラクターと俳優がカメラ目線チラで演じているのが、新鮮です。今日はこれからロビンの両親の家にコンピューターデスクを届けに行ってきます。クリスマスまでいよいよ1週間です。

木曜日, 12月 14, 2006

ロビンの晩御飯

最近、たまにロビンが晩御飯を作っています。私が仕事から帰ってきてから作り始めると晩御飯が遅くなるので、アイスホッケーが始まるまでにお腹がこなれる時間が足りないと計算しているようです。こういう自分勝手な理由からでも、家に帰ってきて温かいご飯ができているのは嬉しいです。今日は軽量カップが見つからないと職場(私の携帯)に電話がありました。ここ最近まで、炊飯器の使い方がわからないからご飯は炊けないと主張していたのに、ホッケーの力はえらいものです。お味の方は、80点くらいかな。今日は解凍してあったポークチョップ(豚肉の切り身)と野菜の中華風とご飯でした。お肉が分厚くて火が通りきってないところがあったのにはちょっと閉口しましたが、あまり文句を言わないようにします。ロビンはサンディエゴでは毎日のように残業で遅く、家事の手伝いは皆無でした。

今日運転中にCBCラジオを聞いていると、北アメリカではここ10年間で肥満が進んでいるそうです。朝、昼、晩御飯の量は減っているけど、間食の割合が増えていて一日の食事の2割は間食(スナック)ということです。間食に食べるスナック菓子やチョコレートなどはカロリーの高いものが大半です。という私もサンディエゴから戻って半年もたたないうちに元の体重に戻りました。確かにここでは防寒になっているかもしれませんが、サンディエゴで買ったパンツが来年も夏もはけるか、心配です。

月曜日, 12月 11, 2006

お正月

子供の頃、お正月は何といっても一年中で最大のイベントだった。商売をやっていたので、年末はとても忙しい家だった。大人はお正月用のもち米や灯油の配達、年末の集金と寒風の中を走り回っていた。兄弟も高校生くらいになると、このときばかりはまじめに手伝っていた。祖父母と同居していて、お正月には父親の兄弟が集まってお祝いするのが、恒例だったので、嫁の母親はやることが多く大変だった。しなければならないことを紙に書いて、冷蔵庫に貼っていた。29日か30日には餅をついて、鏡餅を作る。御節料理もたくさん作った。私は紅白の蒲鉾を切ったり、鰤の照り焼き、紅鮭の塩焼きが焦げないように見ていたりと、火燵に入ってミカンを食べている合間にやった。黒豆、高野豆腐、干し椎茸などを味見し、金時に入れる甘栗をつまみ食いしてしかられた。大晦日は注連縄、鏡餅の用意、年越し蕎麦の準備がやっと終わる頃、紅白歌合戦が始まる。山内アナウンサーの美空事件が懐かしい。紅白が終わり、行く年来る年を見て、夜12時になると、まだ起きている家族にあけましておめでとうございます。と挨拶して回った。祖父母はとうに寝ているし、母も寝ていることが多かった。新しい年になるというだけでやたら興奮してうれしかった。

子供の時、お正月がうれしい最大の理由は、何といってもお年玉がもらえることだった。家族一族がお正月のお祝いに集まって、まず子供たちにお年玉の入ったぽち袋を渡す。低学年の時は2千円、高学年ではだいたい5千円が相場だった。毎年、祖父母のぽち袋が最高額と決まっていた。小学校4年生くらいの時だったと思うが、正月明けに商店街のおもちゃ屋が開いたと聞くと、貰ったばかりのお年玉を持って、飛んでいった。何を買うか色々迷ったが、なかなか決まらない。兄弟はすでに欲しい物を買って帰りたがっている。私は自動編み機という、おもちゃの編み機を買った。特に手芸が好きだったわけではない。ただ、決められなくてとりあえず選んだ。編み機は数回使って、その後長い間私の戸棚の中で眠っていた。その後どうなったかは知らない。今、この編み機の話を中学生の子供に話すと、かなり受ける。

実家の2階の壁に、お正月の記念撮影の写真が並んでいる。祖父母は数年前に亡くなり、子供たちはそれどれの家庭を持って子育ての真っ最中である。

ガレージ側から見た家、雪の日には四駆が安心。
家の正面
家の向かい側の家の木

先週末の金曜日から暖かくなりました。それまでは昼間でもマイナス10度以下でしっかり着込んでも、散歩に行く気分じゃなかったけど、ここ最近はマイナス5度以上という暖かさ。ここではマイナス3度くらいだと暖かく感じます。昨日は霧が少しあって、町が白く煙っておとぎの国のような雰囲気になりました。今朝は、町中の木に雪の花が咲いたように霜がついていました。ますます、クリスマスらしくなってきました。

日曜日, 12月 10, 2006

クリスマスツリー

毎年登場する、クリスマスビレッジ(村)。暗くなると明かりを点けます。

昨日の晩やっとクリスマスツリーを出しました。本当の木は香りがいいけど、ロビンは自然保護者なので、毎年たくさんの木を切るのに反対と言います。クリスマス後にはゴミ収集が大変で、その上大量の木を燃やすのは環境にもよくないとニュースになります。シンデレラの南瓜と鼠のように、クリスマスが過ぎて魔法がとけると、ただの粗大ゴミになります。

それでも子供たちが小さいときは、何回か本当のもみの木を買ったことがあります。植林場によっては、子供たちが橇に乗ったり、キャンディーを作る小屋があったりと楽しい工夫が凝らされていて、大人もかなり楽しめます。自分たちで木を選んで、鋸を借りて切ります。子供たちも手伝って、車まで木を運んだりと、たのしい作業です。

私がもみの木を買わなくなった一番大きな理由は火事の心配です。家の外と中の温度差が40度近くなると空気がひどく乾燥します。もみの木は発火しやすいので、木を置いている台に水を足しているとはいえ心配です。先週、職場で、それでもプラスティックは味気がない、本当の木はいいなあと言うと、最近はもみの木の香りの芳香剤もあるのよと薬剤師が言っていました。私にはやり過ぎなように思いますが、どうでしょうか。

土曜日, 12月 09, 2006

クリスマスパーティ

金曜日の夜は, マイアミの同年代の女性が集まってクリスマスパーティがありました。私は仕事の後で、カリフォルニアロール(カニ棒とアボガド)をサマーといっしょに10本ぐらい巻きました。カリフォルニアロールは巻き簾にサランラップを敷いてご飯をのせ、次に海苔、その上に直接具をのせて巻きます。巻き上がったら、黒胡麻をまぶします。普通の巻き寿司よりも切り難いです。でも見た目は普通の巻き寿司よりも豪華で、パーティにぴったりです。インターネットで見つけた英語の作り方をプリントして持って行きました。パーティでは生きたロブスターを持ってきた人がいました。熱湯でゆがいて、バターにつけて食べます。私はどちらかというと、わさび醤油のほうが合うと思います。牡蛎のバター焼きもよしでした。まだまだシーフードは苦手という人が多いですが、私にはとてもおいしい夜でした。それににても生きたロブスター、ミシャはペットにしたいと言っていました。飲み物はワイン、カクテルなど自分の好きなものを持っていきます。私はフランスの赤ワインを持っていきました。場所はクリスティーンの所だったので、サンディは家に避難しに来てロビンとお酒を飲んでいました。

金曜日, 12月 08, 2006

たこ焼 その2

お兄ちゃんのコメントおもしろかったです。さすが2歳年上だからかよく細かいところまで覚えていますね。あの時は工場のトタン屋根もはずれて飛んでいったような。台風は子供心に怖いというより、お祭りがきたようにはしゃいでいたような気がします。ひどい被害にあわれた方には不謹慎ですが。大人は板を打ち付けたりして面倒だったでしょう。

加太のおばちゃん、鯛焼きのおっちゃんは名前が懐かしいです。鯛焼きのおっちゃんはごつい自転車に乗っていましたね。おっちゃんというより、おじいちゃんという感じの人でした。 家のおじいちゃんは鱧が好きでしたね。おばあちゃんは鰻が好物でした。富有柿、20世紀梨、岡山の白桃(これもおじいちゃんの好物)、ミカンはダンボールで買っていました。卵も冬は箱でかって店の隅に置いてあったなあ。寒い朝、練炭を熾す匂い、ごみ収集のスピーカーの音。朝ごはんの茶粥おかいさんにはったい粉、麦粉だったと思いますが、どんな漢字を書くのでしょう。私は口の中がぱさぱさしてはったい粉は苦手でした。

話は変わりますが、家の男の子たちはゲームは金曜日だけに制限しています。それから、友達が来ている時と友達の家に遊びに行った時はOKにしています。昨日フリーが、金曜日はゲームに飽きてきても、後1週間自由にできないと思うと辞められないと言っていました。なかなか難しいですね。サマーも友達とペンギンゲームをやるようになりました。

水曜日, 12月 06, 2006

たこ焼

たこ焼き

私の育った家は、家族揃っての外食はめったににしなかったけど、おいしいものを食べて育ったと思う。祖父母がいて大家族でお付き合いも多く、頂き物がよくあったし、食べることが楽しみという家風のせいもあったと思う。旬のお魚、野菜、果物は欠かさなかったし、節句のものは全て家で作った。母親は料理が上手で、忙しくても食べることには手を抜かないという信念があったようだ。今、私は自家製パンを焼くし、弟はデザート作りが上手、兄も酢豚や餃子といったものを作るのは料理が上手だった母親の影響が大きいと思う。

覚えているかぎり小さい頃から、祖父は毎晩の晩酌が楽しみだった。それから年寄りたちは早く晩御飯を食べたがる。特に冬になると日が暮れるのが早いので、暗くなると晩酌、晩ご飯を済ませて、お風呂に入り、ぬくぬく温まって、布団に入る。でも育ち盛りの私たちは9時ぐらいになるとお腹が空いて、冷蔵庫をごそごそ探検し始める。夜鳴き蕎麦のラッパや石焼芋が時々来たけど、ほんのたまにしか買わなかった。母親はあまり衛生的でないと思っていたようだ。後で、駅前のたこ焼屋のおっちゃんが、路地裏で立ちしょんをして、手を洗わずにまたたこ焼を焼いていたのを目撃したと言っていた。父親が好きだったのが、鍋焼きうどん。アルミの容器に麺とあぶら玉と汁が入っていて、直接コンロにかける。おすそ分けをもらったが、とてもおいしかった。私は一時、フランスパンに凝って、オープンサンドというのを作った。あの頃の日本のフランスパンだから、今ほどおいしくはなかったはずだけど、斜めに切って、マヨネーズとからしを塗った上にきゅうりとハムをのせる。挟まないオープンサンドといのが、粋な気がした。

それから何といっても夜食ナンバー1メニューはたこ焼きだった。関西の家はだいたいどこの家にもたこ焼き用の鉄板がある。ガスコンロを火燵の上に出したり、葱、蛸、紅しょうがを刻んだり、みんなで手分けして行う。初期は小麦粉と出し汁の割合がよくなくて、かちかちの硬いたこ焼を作ったことがあるが、改良されて、柔らかいたこ焼が焼けるようになったし、ひっくり返すのも上手になった。ひっくり返してから、くるくると回してまん丸に作るのも楽しかった。ソースと鰹節、青海苔をかけてできあがり。家の近所にたこ焼屋をやっているおばあちゃんがいたけど、経費節約のためか、蛸の代わり竹輪がはいっていた。それを割り箸に3つとか5つ刺して売っていた。竹輪のたこ焼は1個十円だった。

ある晩、たこ焼を焼いていたら玄関でバンという大きな音がした。台風が来ていて玄関の引き戸が外れて倒れていた。それからてんやわんやしていたはずだけど、あまり覚えていない。夜のたこ焼は楽しいイベントだったけど、一度「たこ焼作ろう」と誰かが言うと、母親が「やめときよー」とやんわり言っていたことがある。一日の仕事と家事が終わってから台所が汚れて、また後片付けはしんどかったと思う。そんなことはあまり考えず、たこ焼を焼いていた気楽で平和な時代だった。

2006125

糸引き飴

糸引き飴

子供の頃の思い出は何十年も忘れていても、ある時ふっと鮮やかによみがえることがある。

先週、夫とクリスマスショッピングをした帰りの車の中で、子供たちの遊び場や社交場についての話しがでた。家は小さい町に住んでいるが、都会の子供はショッピングモールやコンビニエンスストアでたむろしているらしい。あまりいいことだとは思わない。ドラッグの誘いがあるかもしれないし、危険な目にあうかもしれない。夫が子供の頃は、家族経営でやっている食料品店がまだあちこちにあったそうだ。ママとパパの店(Mom & Pop store)という。子供たちに顔見知りの近所のお店があった。アメリカ、カナダではここ十数年で小売店がどんどんと姿を消していった。ウォルマートや大型スーパーはもとより、ショッピングモールに入っているお店やレストランもアメリカのチェーン店が並ぶ。日本も北アメリカほど過激ではないが似たような状況だ。私たちの世代は個人経営者が大型資本に飲み込まれていった時期に大人になった。

私が子供時代を過ごした昭和40から50年代。小学校の高学年の頃は一日のお小遣いが50円だった。学校や塾の帰りに駄菓子屋に寄るのが楽しみだった。一応、学校帰りの買い食いは禁止となっていたけど、そんなに厳しくはなかったように思う(怒られた記憶なし)。30円のメロン味やオレンジ色のアイスキャンデーは2本になっているのを丁寧に割って、一本づつ齧る。友達とおしゃべりしながら、笑いながら、アスファルトの焼けた道をぶらぶら歩いて帰った。

習い事や塾は社交の場だったので、とりあえず色々やった。習字、ソロバン、合唱団、英語塾、数学塾。ソロバンはそんなに上手にならないうちに、急速に興味を失ってしまったけど、算盤塾の近くにあった壱拾円屋に行くのが、最高の遊び場だった。間口の狭い家の玄関が子供向けの駄菓子屋になっていた。糸引き飴、甲羅飴、黒砂糖のお菓子、どぎつい着色料のガムなどどれでも十円だった。私たちは十円玉をしっかり握りしめ、小さな頭をつき合わせて、大きな飴をねらって、糸引き飴の糸を引いた。大きな飴は50個の中に2,3個しか入っていないのでほとんど釣れることはなかったけど、赤い小さな苺の三角錐の飴もおいしかったので満足だった。小さな興奮と楽しみに満ちていた日々。どこの親も仕事に忙しくて、あまり子供のことをかまうということはなかったように思う。

今の子供たち。どこに行くのも親が車で送り迎え、時間も場所も親が管理している。子供に対する悪質な犯罪が増えているので仕方がない。ビデオゲームの時間を決め、インターネットの閲覧を監視する。それでも、したたかな子供たちは、大人の気づかないところで、小さな娯楽を見つけ出しているのだと思う。そうであってほしいと思う。

2006125

火曜日, 12月 05, 2006

ブルーベリーマフィン

日曜日にサマーとクリスマス用のお菓子作りの計画を立てました。
ブルーベリーパイ、バタータルト(レーズン入り、ロビンの唯一好きな焼き菓子)、ジンジャースナップ。サマーは昨夜チョコレートとオーツのクッキーを焼いていましたが、焦がして、スモークアラームは鳴るし、大騒動になりました。多分、温度が高すぎたのでしょう。私は違う部屋にいたので、アラームが鳴るまで気がつきませんでした。でも、上手に作るときもあるし、そのうち失敗しないようになると思います。私は今でも、失敗することあるし。

最近、気に入ってよく作っているのが、ブルーベリーマフィンです。他のレシピも試しましたが、今の所、このレシピが一番気に入っています。

Blueberry Muffins

ブルーベリーは眼に良いだけでなく、心臓病などの予防にもなると言われています。その上、とてもおいしいのでいうことなしです。ロビンの健康食品はフランスワイン、それもCabernet Sauvignonがコレステロール値を下げたりするのにいいらしい。好きなものだと続けやすいのでいいです。

クリスマスプレゼント

12月の話題はほぼクリスマス一色。特に一番多いのがプレゼントについてで、みんな頭を悩ませています。我が家は例年になく、クリスマスの3週間前にほぼプレゼントが用意できました。早く用意できたのはいいけど、今度は中学生になった子供たちからプレゼントを守るのに苦労します。こちらの伝統ではクリスマスの朝までプレゼントは秘密ということになっています。まず、プレゼントの隠し場所に悩みます。子供たちはだいたいどこに隠してあるか見当をつけています。地下室、屋根裏部屋、台所の吊戸棚、寝室のクローゼット、車のトランクなどなど。その裏を掻いて、こっそり隠します。私のいっしょに働いている薬剤師は50歳のご主人へのプレゼントを薬局の棚においてあります。隣町のモーダンの映画館では、先週末の昼間、無料で子供の映画を上映していました。子供がベビーシッターと映画を見ている間にプレゼントを選べます、と宣伝していました。

実物は安全なところに隠しても、まだ安心していられません。中学生にもなってくると、なかなか心理戦にも長けてきます。「プレゼントが何かわかったよ」とか、「何々でしょうでしょう」と言って、こちらの表情を伺います。ロビンは小さい頃から鍛えられてきていますが、私はついぽろっと言ってしまいそうで怖いです。用心、用心。

月曜日, 12月 04, 2006

元気ごはん

長年、海外生活をしていて、こちらの食生活にもすっかり慣れましたが、ずっとカナダ育ちの家族に合わせてピザやスパゲッティ、肉料理が続くと、私は食傷気味になって、日本食が食べたくなります。健康志向でパンは雑穀の入ったもの家で焼いていて、とてもおいしいですが、やはりパンは飽きてきます。サンディエゴでは大きな日本やアジアのスーパーが近くにあって、新鮮で値段は少し高めだけど、週の半分は日本食を作っていました。カナダの田舎でも、ここ数年は近くの大きなスーパーでお米、キッコーマンのしょうゆ、海苔など手軽に買えるようになりましたが、やはり育ちだかりを3人かかえていると、洋食に傾いてしまいます。簡単で早くボリュームのあるのものとなれば、肉は焼くだけでおいしいし、新鮮な魚は鮭(でも私は鮭が大好きなのでラッキーでした、でもたまに脂の乗ったおいしい焼きさばが食べたくなります)ぐらいです。カナダの買い物のスタイルは週に一度、一週間分の買い物をして、足りなくなったミルクなど近くのスーパーで買い足すので、せっかく新鮮な鮭を買っても、その日に食べる分以外は、車庫にある巨大な冷凍庫(五條の3階にある崇子さんの長持くらいの大きさ)に保管します。

話がそれましたが、今週末は日本食が恋しくなったので、散らし寿司とわかめの味噌汁の晩御飯、今朝は炊きたてのご飯に梅干と海苔の佃煮、お味噌汁を食べました。先週から寒くなったし、クリスマス前で忙しい毎日のスタートにはやはりおいしいご飯です。

日曜日, 12月 03, 2006

ブログ

新しいブログに登録しました。さて、うまくいくでしょうか。

日本語の上手な外国人

最近、立て続けに日本語を上手に話す人に会いました。ひとりはアルゼンチン人で東京に10年ぐらい住んでいるコンピューターデザインの専門家で、コンピューターのイベントで講演しました。ロビンは何年も前からコンピューターのニュースグループで知り合いだったそうです。前は電通に勤めていたけど、今はフリーの仕事をしているそうです。才能のあるグラフィックデザイナーで、プログラムにも精通していて、英語もぺらぺらだし、日本語もできる。すばらしいです。彼のウェブサイトです。
Marumushi

もう一人は先週勤めている病院で会った、パキスタン人のお医者さん。今度うちの病院で勤めることになるそうです。千葉大学で放射線学を勉強したそう。1年半しか日本にいなかったのに、日本語は上手だし、何年も前なのに忘れていない。やはりお医者さんとなると頭がいいのでしょう。

才能と努力でしょうか。私もこれから書く仕事を目指してがんばろうと思っています。(来年の抱負)

もう12月

信じられないくらいのスピードで11月が過ぎてしまいました。今年こそ早めに準備しようと10月の終わりから年末年始のご挨拶の手紙をかいていたのですが、結局、やっと昨日印刷しました。新しい家族写真を入れようと思ったのですが、デジカメで撮った写真は今ひとつなので辞めました(お母ちゃん、キタムラ に送ります)。手紙は明日投函します。家族、サンディエゴで知り合ったご近所の方やテニス友達、アモイ時代の友達、幼なじみのまっちゃんなど、全部で15通になりました。カナダの病院関係の友達はクリスマスカードを送ります。

11月は忙しかったです。いっしょに仕事をしている薬剤師が休暇を取って、バンクーバーのローリングストーンズのコンサートに行ったり、ロビンのコンピューターのイベントで週末がつぶれたり、雑事に追われたり。病院の患者も多かったです。

こちらの人はクリスマスまでの11月、12月は毎年瞬く間に過ぎていくけど、1月、2月は長いと言います。日が短く、寒さの厳しい時期は春が来るのが待ち遠しいです。でも、長い冬の後の、雪解けの春の嬉しさは格別です。この秋に植えたチューリップとクロッカスが咲くのを楽しみにしています。