水曜日, 12月 06, 2006

糸引き飴

糸引き飴

子供の頃の思い出は何十年も忘れていても、ある時ふっと鮮やかによみがえることがある。

先週、夫とクリスマスショッピングをした帰りの車の中で、子供たちの遊び場や社交場についての話しがでた。家は小さい町に住んでいるが、都会の子供はショッピングモールやコンビニエンスストアでたむろしているらしい。あまりいいことだとは思わない。ドラッグの誘いがあるかもしれないし、危険な目にあうかもしれない。夫が子供の頃は、家族経営でやっている食料品店がまだあちこちにあったそうだ。ママとパパの店(Mom & Pop store)という。子供たちに顔見知りの近所のお店があった。アメリカ、カナダではここ十数年で小売店がどんどんと姿を消していった。ウォルマートや大型スーパーはもとより、ショッピングモールに入っているお店やレストランもアメリカのチェーン店が並ぶ。日本も北アメリカほど過激ではないが似たような状況だ。私たちの世代は個人経営者が大型資本に飲み込まれていった時期に大人になった。

私が子供時代を過ごした昭和40から50年代。小学校の高学年の頃は一日のお小遣いが50円だった。学校や塾の帰りに駄菓子屋に寄るのが楽しみだった。一応、学校帰りの買い食いは禁止となっていたけど、そんなに厳しくはなかったように思う(怒られた記憶なし)。30円のメロン味やオレンジ色のアイスキャンデーは2本になっているのを丁寧に割って、一本づつ齧る。友達とおしゃべりしながら、笑いながら、アスファルトの焼けた道をぶらぶら歩いて帰った。

習い事や塾は社交の場だったので、とりあえず色々やった。習字、ソロバン、合唱団、英語塾、数学塾。ソロバンはそんなに上手にならないうちに、急速に興味を失ってしまったけど、算盤塾の近くにあった壱拾円屋に行くのが、最高の遊び場だった。間口の狭い家の玄関が子供向けの駄菓子屋になっていた。糸引き飴、甲羅飴、黒砂糖のお菓子、どぎつい着色料のガムなどどれでも十円だった。私たちは十円玉をしっかり握りしめ、小さな頭をつき合わせて、大きな飴をねらって、糸引き飴の糸を引いた。大きな飴は50個の中に2,3個しか入っていないのでほとんど釣れることはなかったけど、赤い小さな苺の三角錐の飴もおいしかったので満足だった。小さな興奮と楽しみに満ちていた日々。どこの親も仕事に忙しくて、あまり子供のことをかまうということはなかったように思う。

今の子供たち。どこに行くのも親が車で送り迎え、時間も場所も親が管理している。子供に対する悪質な犯罪が増えているので仕方がない。ビデオゲームの時間を決め、インターネットの閲覧を監視する。それでも、したたかな子供たちは、大人の気づかないところで、小さな娯楽を見つけ出しているのだと思う。そうであってほしいと思う。

2006125